Vol.271 69年間を振り返る
そして70周年を迎えるにあたっての想い

80年代当時の竹川病院

80年代当時の熱川温泉病院

また大学病院時代は、長期休暇中に父の経営する竹川病院と熱川温泉病院の手伝いをしていました。そこで2つの病院の医療と経営を自分一人で行わなければ気が済まない父の姿を見て、「医療経営とは何か?」を自問自答するようになります。

80年代に健育会グループで働き始めると、私は経営について学ぶため、東京青年医会の早朝勉強会に参加。さらに最も尊敬する富士ゼロックス元代表取締役会長、小林陽太郎さんのアドバイスで経済同友会に医師として初めて入会します。
そこで衝撃を受けたのは、日本の暗い将来像と財政状況でした。日本には、医療は人の命を救う “聖職”だから赤字もやむを得ないという考えが浸透していましたが、その負債を賄う国の財政も近いうちに逼迫するというのです。このままでは医療崩壊が起こり、日本の医療は必ず立ち行かなくなると強い危機感を抱きました。

こうして私は民間病院の経営者として「光り輝く民間病院グループ」を目指すべきであると確信するようになります。堅実な経営に軸を置き、質の高い医療を提供して日本の医療を支える民間病院のパイオニアになる。そのために医療と経営を完璧に分けるツートップ制を採用し、病院経営の最適化を目指すことになります。

では実際に「光り輝く民間病院グループ」を実現するためには、どうすればいいのか? 私はこの問いに対し、患者さんや職員、ご家族など医療に関わる全ての人の心を豊かにする必要があると考えました。
そして患者さん一人一人の心を豊かにするには、ご家族を含めたチーム体制でニーズに合った質の高い医療を提供することが大切です。職員にもやりがいを持って働いてもらうため、教育と研修にも力を入れてきました。

また私はある時から、医療人は人の尊厳を平等に扱わなくてはならないと思うようになります。これは慶應義塾塾長であった小泉信三先生が話す肉声テープを聞いた時のこと。福澤先生の言った「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉を解説する際、尊厳という言葉が使われていて大変印象に残りました。
「尊厳」であれば平等に扱うことができると気づき、目の覚めるような思いがしたのです。昨年には「愛情を持って親身な対応」というスローガンを追加し、今まで以上に患者さんの尊厳を尊重する医療を目指しています。