13日間にわたって繰り広げられた「第16回夏季パラリンピック東京大会」。22競技539種目が行われました。多くの感動とともに、医療に携わるものとして改めて考えさせられる大会でした。
“多様性と調和”を目的としたパラリンピックでしたが、まさにそれを実感できた素晴らしい大会でした。観戦しながら、障害者を取り巻く環境、医療人としてなすべきことを考えさせられました。
私が初めてアメリカに行った40年前のことです。助けを借りず、自力で電動車いすを使って移動している人を目にしました。街もバリアフリーで、障害者が自立していることが日常の光景となっていることに、当時の私は非常に衝撃を受けたものです。というのも、そのころの日本では“車いすは誰かが押して動くもの”。加えて、車いすに乗った方が街中に出ることはほとんどなかったからです。国の福祉政策という名のもと、障害者は“弱者”として扱われていました。誰かが助けなくてはいけない人であり、かわいそうな人。いつか障害者が普通に生活できる、そんな時代になればいいなと感じたことを思い出しました。
更に10年後、北海道の障害者施設に1日泊まって生活をともにしたことがあります。彼らは施設の中ではイキイキとしていましたが、施設長の話では、社会に出るとボロボロになって帰ってくるとのことでした。受け入れ側の体制など周囲の理解を含め、簡単な問題ではないことを痛感したものです。