Vol.239 「第16回夏季パラリンピック東京大会」を観て感じたこと

1964年の「東京オリンピック・パラリンピック」において、海外パラリンピック選手の就業率が49%だったのに対し、日本人選手はほぼゼロでした。これはいかに日本の障害者が弱者として扱われてきたかを表していると思います。この課題対策の一つとして、1976年に「障害者雇用促進法」が改正されました。障害を持った人が、より社会に出られるよう環境が整い始めたのです。

そこで立ち上がったのがヤマトホールディングスの小倉昌男さん。彼は後半の人生を福祉に捧げました。福祉業界ではタブー視されがちな金銭面にも言及し、福祉にも経営が必要だと信念を貫いた人です。障害者を理由にした低賃金労働を許さず、お金を成功につながる道具としました。結果、施設を始めとした福祉業界は変化し、障害者が社会に出るようになったと思います。

「福祉」は幸せを意味しますが、私は“その人がその人らしく輝いて生きる”ことだと考えます。

今回のパラリンピックでは、日本の障害者を取り巻く環境・意識が変わったことを感じました。選手は自身の障害を隠していません。人は注目されることによってさらに輝くことができます。閉会式での橋本聖子会長のスピーチにもあったように、障害をバネに、自分で限界を作らずチャレンジする姿には本当に心を打たれました。

ただし、彼らが健常者のように生活を送るには、何らかの“助け”が必要です。たとえば義手・義足、車いすのような“モノの助け”、加えてガイドランナーなど“人の助け”が欠かせません。

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