健育会の絆で被災した石巻港湾病院を救う
民間病院だからこそ可能だった例を二つ紹介します。まず石巻港湾病院(現石巻健育会病院)です。2011年3月の東日本大震災で石巻市は甚大な被害を受け、同病院も孤立します。震災から2日間、職員たちは患者さん一人ひとりに毛布をかけて、寒さをしのぎました。3日目になると、備蓄してあった食料が残り少なくなります。しかし、そこで健育会本部の若手職員たちが立ち上がります。本来であれば、東京から石巻へは東北自動車道などで行くのが一般的ですが、当時は全面不通でした。本部職員は、通行可能だった関越自動車道で日本海側に抜け、山形から石巻入りを目指します。
そこで奇跡が起こりました。当時の石巻港湾病院のマネージングディレクターが、最後の望みをかけて携帯電話がつながる場所まで行ってみようということになり、車を30~40分走らせます。そこで近くまで来ていた本部職員の携帯電話とつながり、病院に支援物資が届きました。十分ではなかったものの、職員たちの士気は上がり、頑張ります。その後ルートを開拓し、毎日のように関越自動車道経由で石巻港湾病院に支援物資を送りました。
また物資だけでなく、私は、健育会グループの他の病院・施設の中からボランティアを募り、ドクターやナース、PT、ケアワーカーなどで行ける者がいれば、どんどん行ってほしいと伝えました。そうして健育会グループは、総力を挙げて石巻港湾病院を支援し続けました。これこそ、健育会の絆です。そして6カ月後には、きれいに修復して復旧し、「もし、また津波がきたら」という職員のトラウマを払拭するため、その後病院を移転し建て替えました。
全ての救急患者を受け入れる西伊豆健育会病院
民間病院だからこそというもう一つの例は、私が初めて院長を務めた西伊豆健育会病院です。西伊豆地区は、病院自体が少なく、救急病院もほとんどありません。出血多量の患者さんの搬送が間に合わず亡くなったことがあり、それが新聞に載りました。私は行政に病院を作ってほしいと頼まれ、医師も看護師も足りない状況で、病院を作りました。3人の医師が入職してくれて、看護師も揃いました。
西伊豆健育会病院は、救急を断りません。その理由は、西伊豆健育会病院が救急を断れば、50km以上離れた車で1時間以上もかかる病院へ搬送するしかなくなるからです。新生児でも受け入れています。一方、公立病院では、医師は診たいのに事務に止められて、救急を断ることがあります。それは、難しい患者さんを受け入れて何かあると、訴えられるかもしれないからです。では、もし健育会の病院で、何かあったらどうするか? その責任は私が取ります。西伊豆健育会病院は、救命救急をするために作った病院です。病院の方針でも、救急患者を全て受け入れ、救急拒否をしないとはっきり示しており、救急拒否0件を何年間も続けています。