70周年を迎えた際、「確固たる経営基盤で補助金に頼らない経営を行う」という設立時のミッションは実現されつつあります。しかし、世の中では医療は聖域という時代はあっという間に終わり、医療崩壊が起こりました。北海道夕張市が、夕張市民病院の赤字によって経営破綻したのです。市が破綻すると、水道などの公共事業が全てストップして市民は途方に暮れてしまう。30年前、ロシアがソ連と呼ばれていた時代、アメリカとの冷戦で宇宙戦争、原子力戦争を繰り広げ、国の財政が破綻しました。食べ物に困ったモスクワ市民が、スープをもらいに寒い中並んでいる光景を見て、国の財政を破綻させてはいけないと強く決心しました。
同じ頃、日本でも医療崩壊が叫ばれるようになり、補助金を補填できずに公立病院が次々に閉鎖され、国立病院機構に形を変えるなど、状況は変わっていきました。
2007年には公立病院の民営化が促進されます。今年の年始に岸田首相は防衛力強化、少子化対策に力を入れることを宣言しましたが、その財源の一部は高齢者医療、福祉のお金を削減することで賄われるのは仕方がないと思います。だからこそ健育会グループは、筋肉質な経営を実現し、日本の経済を支えてくれた高齢者に希望を与えるような豊かな医療、介護を提供していく必要があるのです。
民間とは、スピードとチャレンジする組織だと私は考えます。ここで、民間ならではの例をいくつかご紹介します。まずは東日本大震災で、被災した宮城県にある石巻健育会病院。日頃の訓練の成果で、津波が来る前に患者さんを3階まで運ぶことができ被害を免れました。残念ながら病院外で3名のスタッフが津波で亡くなりましたが、患者さんは全員助かりました。ライフラインが途切れるなか、健育会グループのあらゆる職種のスタッフが自発的に毎日物資を運び、診療を続けながら半年後には高台に引っ越して、病院を復興できました。
対照的に近隣の石巻市立病院は3日で病院閉鎖となったのです。素早い対応、そしてグループ全員が一丸となって復興を支えた民間ならではの例であり、公立病院との違いだと思います。また、いわき湯本病院は風評被害で人々が街から離散する時に給水車で15tの水を静岡から供給して診療を続けることができました。
平成元年には救急病院がなかった西伊豆地区に、西伊豆健育会病院を開設しました。その前年、救急車で出血多量で命を落とすという事例が発生し、静岡の議会で問題になり、非公式に健育会に救急病院設立の依頼がきたのです。当初は60床から始まり、現在まで救急を絶対に断らないという使命を全うしてきました。僻地医療の原点と言われています。こうしたチャレンジ精神も民間ならではです。
6年前には、湘南慶育病院とねりま健育会病院、ライフサポートひなたが設立され、グループの規模が飛躍的に拡大しました。湘南慶育病院は、慶應義塾大学と藤沢市からの依頼で、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスに作られました。大学病院が民間で、診療に加えて学生の教育や研究も行なうことの多いアメリカに倣い、研究機能を備えた病院を作ったのです。いつかは病院職員も研究を行い、先端医療の開発に貢献してほしいと考えています。
そしてコロナの第3波の時に50床の回復期リハビリテーション専門病院である石川島記念病院をコロナ病棟に転換する決断をしました。職員の皆さんもワクチンが打てない3名のスタッフ以外は残ってくれて、1ヶ月で生まれ変わりました。決断とスピードで社会に貢献したと、いろいろな大臣に感謝の言葉をいただきました。