―スポンサーをされたことでどのような影響がありましたか?
- 竹川:
病院には広告規制があります。スポーツ選手のユニフォームに名前を入れることに抵抗があったのも事実です。各所に確認を取った上、問題ないとのことで正式にスポンサーとなりましたが、ネガティブな声は一切ありません。それ以降、ユニフォームに名前を載せてもらっていますので、札幌の街で「花川病院」と言えば「どこかで聞いた、見たことがある」と反応がある。この安心感は我々としてもありがたいことでした。
- 折茂:
当時スポンサーは花川病院さんを含めて3社ほどでしたが、おかげで現在は360社までに広がりました。「花川病院」といった堅実な名前を背負わせていただくことで、周囲の信頼を得られたことは大きかったです。初期から支えてくださった理事長には感謝しかありません。ご支援がなければ、おそらくチームの存続はむずかしかった。今レバンガ北海道が活動できているのも、理事長のご支援があったからです。
- 竹川:
最初に金額を聞いたときはちょっとびっくりしましたけどね。
―それでも支援をされたいと思った理由は?
- 竹川:
折茂さんの誠実な人柄でしたね。現役のプロであるご本人がいらしてくださるとは思っておらず、しかも非常に礼儀正しかった。話を伺う中で信頼できると確信したからです。
- 折茂:
私にとってもチームにとっても理事長は恩人です。あのような状況から、現在は黒字が出せるまでになりました。
- 竹川:
その後も交流は続いています。私の還暦の際には、各選手がサインを書いてくださったボールをいただきました。また、花川病院の夏祭りでは、選手が大挙して子供たちにバスケットを教えてくださるんですよ。地域活動にも熱心に取り組まれていることを肌で感じています。
還暦祝いに贈られたボールは今も花川病院理事長室に飾られている