そして、やると決めたらスピードが大切です。スピードを持って対応した実例を3つ紹介します。1つ目は、今から10数年前に起きた東日本大震災で、当時の石巻港湾病院(現在は石巻健育会病院)が津波被害を受けた時のこと。残念ながら、職員3人の方は病院の外で津波の被害にあわれてしまいましたが、日頃の訓練の成果から、津波で亡くなった患者さんは1人もいませんでした。
その後、電気、ガス、水道、食べ物の供給が止まり、連絡も取れなくなりました。3月の石巻は非常に寒いです。その中で職員の皆さんは、1晩、また1晩と夜を明かし、着ている服を患者さんにかけて「私たち患者さんと一緒に凍死するんだ」と思ったそうです。その時に本部と連絡が取れて、再開された関越道と山形の山を越えて健育会本部が物資を供給しました。これにより診療を続けることができたのです。そして、健育会グループのすべてのネットワークを通じて、半年後には新しい病院に生まれ変わりました。これが健育会グループのスピードです。
これに比べて近隣の石巻市立病院はたった3日で放棄されました。公立病院だったので自衛隊のヘリコプターによって患者さんは他の病院へ運ばれ、職員は病院を捨てて病院は空になりました。そして今、別の場所で再開して赤字垂れ流しの病院経営を行っています。こうした民間と公立の対比は色々なところで報道されました。実はハーバードビジネススクールの教材でも、ローソン、ユニクロ、 ヤマト運輸と一緒に、支援を頑張っているケース&スタディとして紹介されました。
2つ目は、震災の被害を受けた、いわき湯本病院です。ここは津波被害もなく、建物も無事でしたが、風評被害で町がもぬけの殻になり、旅館が残した冷凍食品とプロパンガスに頼って避難生活を送らざるを得ませんでした。さらに、ガスがないために給水車が走らず、断水になりました。そこで健育会グループはネットワークを駆使して、静岡から15トンの給水車を送ることができました。我々はこうしたスピードとネットワークで乗り切ってきました。
3つ目が、コロナ禍における石川島記念病院の例です。(ビデオ放映)救急の受け入れもしていなかった病院をたった1ヶ月でコロナ専門病院に転換し、多くの患者さんを受け入れたのです。この決断で私は職員が半分でも残ってくれればいいなと思っていましたが、ワクチンを打てない3人の退職だけで、みんな残って頑張ってくれました。