Vol.315 令和6年度入社した新社会人の6カ月フォローアップ研修を行いました

次に、各病院でそのミッションを体現してきた象徴的な事例をお話ししたいと思います。東日本大震災で当時の石巻港湾病院(現在は石巻健育会病院)が津波被害を受けた時のことです。津波被害に襲われる中、石巻港湾病院も1階部分の天井まで被害を受けましたが、日ごろの訓練の賜物で患者全員は3階へ移動することができました。大変残念なことに、津波の被害に巻き込まれ命を落としてしまった職員が3名おりましたが、自分たちにも命の危険がある中で、職員の皆さんは、3月の凍える寒さの中で、患者さんのためにできることをすべて行ってくれました。中には、自分の上着も寒さに凍える患者さんに差し出し、対応にあたる職員もいました。

しかしそんな状況にも関わらず、石巻港湾病院は民間病院のため、公的な支援はほとんど受けることができなかったのです。市立病院は、食事支援やヘリコプターによる患者輸送が行われる中、同院は何も支援を受けることができませんでした。ライフラインが断たれ、命の危険と、とてつもない不安を感じる中で闘う石巻の職員を救うため、グループの病院・職員は、自らの危険を顧みず支援を行ってくれました。グループのチカラで支援を行い、石巻港湾病院は急速な復興を遂げ、そのことはニュースにも大きく取り上げられました。そうして多くの患者さんの命を助け、地域に貢献できたのは、民間病院だからできるチャレンジとスピードによって迅速に行動を起こせたからです。

西伊豆健育会病院は、理事長になる前に初めて院長になった病院です。西伊豆地域には病院がなく、地域住民にとっては有事の際に頼る病院がない環境でした。ハードな条件に公的病院が進出を断ってきた地域ですが、相談を受けたときに、社会的使命が私を動かし、ためらうことなく開院を決めました。ポリシーは、救急患者を断らないこと。できる限り、地域の患者を救うためにスタッフの全員が尽力し続けてくれています。

そして、湘南慶育病院。慶應大学病院の業績赤字が続き、湘南藤沢キャンパスに病院を作るという藤沢市と慶応義塾の約束が実行できない状況の中、慶應義塾から相談を受けて開院しました。大学のキャンパスの中に病院を作ることは、医学研究をする使命があると思い、民間病院では極めてまれな研究施設を院内に作りました。