Vol.321 2024年度健育会グループ新入職員中途研修を実施しました

健育会グループのスピーディーな行動に対し、市立病院はどのような対処をしたのか、お話をしていきます。
市立石巻病院の取った行動は、病院閉鎖でした。国からの援助がありながらも市立石巻病院は、自衛隊を駆使して全ての患者さんを被害のない病院へ搬送しました。 医師や看護師たちは歩いて誰もいなくなった病院を後にし、早々に復旧を断念したのです。
健育会グループは、他のグループの支援を受けてわずか半年で完全復旧をしました。それに比べ、市立石巻病院は病院閉鎖の道を辿りました。
私はこの対処の差こそ、典型的な民間病院と公立病院の差だと思っています。
健育会グループと市立石巻病院の復旧における力の差は、医療雑誌「医療タイムス」にも取り上げられました。

東日本大震災での被害からの復旧に関して、いわき湯本病院の例もご紹介します。
いわき湯本病院は、内陸に位置していましたので津波の被害はありませんでした。
震災直後は給水車が来ていましたが、地域に住んでいる人々は二次災害を受け、次々と街を後にし、周辺から住民が消えてしまいました。そして市にガソリンがなくなったことにより、給水車による配給を停止してしまいました。
そこで健育会グループは、本部のネットワークを駆使し、静岡から給水トラックを手配して水を配送致しました。
こうして全てのライフラインが繋がり、いわき湯本病院は、病院の機能を継続することができたのです。
自分たちでできることはないか、という諦めない心が困窮した状況を打破するのです。

次に、西伊豆健育会病院の例を上げます。
西伊豆地区には当時、救急病棟が存在しませんでした。
その為、患者さんを病院に搬送する間に、出血多量で亡くなってしまった、というケースが起こりました。
そこで街や県の人々から救急病院を作ってほしいという要請が上がりました。
私は、医療というものは「地域から求められいることに応える」ことこそ使命であると感じている為、すぐにその要請を受け入れました。
開設以来、西伊豆健育会病院では「救急搬送を断らない」という理念のもと、今も運営を行っています。

コロナ禍における対応についてもお話致します。当時、2000の病床を抱えながらも、健育会グループには、コロナウイルスの専門病院がひとつもありませんでした。私は社会貢献のために早急に石川島記念病院をコロナ病院にするという判断を下しました。
それまで救急も行っていなかったリハビリ病院でしたので、コロナ患者を受け入れる為のシミュレーションを行い、リハビリ患者用だった47床を18床に減らしてコロナ病床にあてました。
当時の状況は「報道ステーション」にも大きく取り上げられました。