被災から3日目、石巻の職員がどうにか本部との連絡を取り付け、救援部隊と共に物資を病院へ運び込むことに成功しました。
それからは、健育会グループ職員が一丸となり、毎日のように物資を送り続けました。
これらの支援は私からの指示ではなく、全て職員自らの意志によるものでした。
医師、看護師、ケアワーカー、セラピスト……。職種の垣根を越え、全職員が石巻港湾病院の仲間と患者さんのために、率先して動いてくれたのです。
その結果、石巻港湾病院はわずか半年という短期間で、通常の診療ができる状態まで復旧を果たしました。まだガスが通らない中であっても、施設をオール電化へ切り替えるなどの工夫で困難を乗り越えたのです。
一方で、患者さんや職員の心には「また同じような津波が来るのではないか」という不安が残りました。
そこで健育会グループは、津波の心配がない高台に「石巻健育会病院」として新たに設立することを決断しました。
このスピード感とチャレンジ精神、そして職員たちの強固なチームワークがあったからこそ、私たちは震災の悲劇を乗り越えることができたのです。
その一方で、同じく被災した石巻市立病院が取った選択は、病院の閉鎖でした。
公的な支援を受けていたにもかかわらず、震災後わずか3日で復旧を断念したのです。患者さんは自衛隊のヘリコプターで移送され、誰もいなくなった病院を、医師や看護師たちは歩いて去っていきました。
この石巻港湾病院と石巻市立病院の復旧に向けた姿勢の差は、当時『医療タイムス』でも大きく取り上げられました。
東日本大震災における、いわき湯本病院の復旧についても触れておきたいと思います。
いわき湯本病院は内陸に位置していたため、直接的な津波の被害は免れました。しかし、原子力発電所の事故に伴う風評被害により、街から人影が消え、国からの給水車までもが来なくなってしまったのです。
そこで私たちは、健育会グループ独自の人脈を最大限に駆使し、静岡県から15トンもの水を積んだ給水車を確保し、病院へと届けました。ここでも、民間ならではのネットワークと、決して諦めない心が困難を打ち破る原動力となりました。

