最新レポート
現状に疑問を投げかける人たち
- 五木寛之さんは著書「新老人の思想」で、「老いは楽園であって当然ではないか。心と体をすり減らして生きた証が、寝たきり老人というのはどう考えても納得がいかない」と書いている。
- 2016年に樹木希林さんが出演した宝島社の広告は「死ぬときくらい好きにさせてよ」というメインコピーで次のようなフレーズが添えられていた。「人は必ず死ぬというのに。長生きを叶える技術ばかりが進歩して、なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。死を疎むことなく、死を焦ることもなく。ひとつひとつの欲を手放して、身じまいをしていきたいと思うのです。人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。それが、私の最後の欲なのです。」
- 今の日本では、好きなように死ねないというのが現状であると思う。
死を受け入れられない家族
- 老いることは自然なことであり、命には限りがある。しかし、それが受け入れらない家族がいるというのも現実である。
- 例えば、80歳を超えた患者さんの息子さんで「母は、いつも元気で100歳くらいまで生きるものだと思っていました。今、重篤な状況だと言われても受け入れらない」とはっきりおっしゃった方もいた。死というものを実感として受け入れられない人が多いのが現実である。そのために、高齢で食べられなくなった家族に、何とかして食べさせてほしいと希望する家族が多い。
- ハリソン内科学の第1章に、緩和ケアと終末期ケアという項目があるが、そこには「死期が迫っているから食べないのであり、末期の段階で食べないことが苦痛や死の原因になるわけではない」と明記されている。
- 「高齢者が終末期になったら、食べることはできない、そして栄養もいらない」ということをこれまでの医療者の教育では教えてこなかった。だから我々医療職も含めて、人間には最期の最期まで栄養を与えなければならないと思い込んでいる。
なかなか人が死ねない社会
- 延命医療が発達したために、なかなか人が死ねない社会になってきている。
- 一番優先すべきことは、高齢者ご本人がこのような生き方を望んでいるかどうかということだと思う。
- 私が担当する認知症外来でもまだまだご自分の意志を伝えられる人はいるので、なるべく「将来誰でも歳をとった時に物が食べられなくなりますが、その時に、鼻から管を入れたり胃に穴を開けたりして栄養を入れることを希望しますか?」と聞くようにしている。そうすると、多くの人が「そうまでして生きていたいと思わない」と言う。
- アンケート調査や新聞の世論調査で、老衰で食べられなくなった際の延命治療を望むかどうかを聞く項目では、大抵8割以上の人が望まないと答えている。
- しかし現在の日本では、ご自分の意志をリビングウィルで示してもいても、その意思が生かされない現実もある。