望まない延命が行われる理由
なぜ望まない延命が行われているのか。私なりに考えてみた。
1. 延命至上主義
- 従来の医学部の教育では、「患者さんの命を1日でも長く生かすこと」を教えてきた。そのこともあって、医療従事者には延命至上主義があると思う。
- また、患者さんの家族の中にも、どんな姿になっても生きてるだけでいいから、生かしてほしいという延命至上主義の方がいる。
2. 本人が意志を表明しない
- 日本は死についてあまり語らない文化、習慣がある。「このように死にたい」というと、縁起でもないからそんな話をしないでくれと言われてしまう。
- そのような背景の中で、多くの人は自分が最期にどのように死んで生きたいかということを家族に伝えていないことが多い。自己主張しなくて、家族まかせ、医療者任せになっている。
- 外国と比べると主体性がないと思う。
3. 本人の意思を聞こうとしない
- 高齢になったり病気の終末期、認知症になったりすると、周りが本人の意思を聞かなくて当たり前ということになっている。
4. 法的責任追求の恐れ
- 医師が延命治療をしなかったことで遺族の方から訴えらたりする恐れがある。法的責任追求の恐れから、延命治療を行なってしまうということもあると考える。
5. 社会制度の問題
- 患者さんの側では、年金の問題がある。仕事を辞めて親の年金で暮らしている人もいるので、「延命治療をして生かして下さい」という人が多いのも事実である。
- 病院の側では、診療報酬の問題は非常に大きい。長く病院にいると医療費が削減される、また、定額制の病棟では医療区分の問題があって、24時間点滴やIVHや人工呼吸器、気管切開などやらないと、医療区分が1のままで赤字になってしまう。
6. 高齢者の終末期医療の難しさ
- 終末期の判断が非常に難しい。例えば脳卒中や肺炎になって食べられなくなった時に、果たしてこの人は病気が回復してまた食べるようになるだろうか、ということが治療をして様子を見ないとわからないということがある。よって、少しでも助けたいと思うと点滴や経管栄養を始めてしまう。
- そのような場合も、結果として回復にはつながらず食べられない状態が続く場合もある。しかし、もう一度始めてしまった点滴や経管栄養は辞められず、延命治療につながっていくということがある。
7. 終末期医療が確立されていない
- 老衰でも病気の終末期でも、高齢者にどこまで医療をやればいいのかというガイドラインのような判断の拠り所が、今の日本では確立されていない。
- 「できることは何でもやるのがいい」という医師もいるし、私のように「高齢で死も近いのだから、緩和医療で楽でしてあげるのがいいのではないか、そこそこの医療でいいのではないか」と考える医師もいる。
- 国民も「何でもやってほしい」という人から「苦しいことはしないでほしい」という人までまちまちである。
このような背景から、8割以上の人が望まない延命治療が行われていると考える。