柿田先生が健育会グループに入職され9年。その間、熱川温泉病院、竹川病院、花川病院と、現在のいわき湯本病院の4病院で院長を歴任して頂いています。昨年、いわき湯本病院が東日本大震災で被災した際には、連日病院に泊まり込んで奮闘して頂きました。今回は、柿田先生をお招きし、震災当時のお話や健育会グループの取り組み等について対談を行いました。(以下、敬称略)
竹川 今月で東日本大震災から1年が経ちました。当時のことを振り返っていかがですか?
柿田 震災当時、いわき湯本病院では幸いにも建物などの物理的被害はありませんでしたが、水やガスが途絶え、また原子力発電所の事故の影響もあり、いわき市は気づいたら陸の孤島でした。約150人の患者さんを抱え、そのうち20人はご家族が迎えにこられましたが残りの130人は病院に残られました。まず、課題になったのは食糧の確保です。我々職員は、何でも食べられますが、患者さんはそうはいきません。そんな中での本部からの水や食糧の支援は本当にありがたく思いました。この時ほど、グループの一員でよかったと感じたことはありませんでした。
竹川 本部でも、いわき湯本病院と石巻港湾病院を支えるために、あの時は必死でした。地域の皆さんにもご支援いただいたと聞きましたが。
柿田 本当にたくさんの方からご支援いただきました。例えば温泉街の旅館からは宿泊のキャンセルで余った食材をご提供いただきました。いわき湯本病院は、健育会グループに所属する前の炭坑病院としての歴史を含めると約90年と言う長い歴史を持っています。震災を通じ、この病院が地域に根ざしていることを改めて再認識しました。
竹川 震災を通じて、石巻港湾病院といわき湯本病院の職員の医療人としての使命感の高さには心から感服しました。また、2病院を支えようとグループ全体が支え合い、改めてグループの「絆」を認識し、より深いものにすることができたと感じています。
柿田 本当にそうですね。我々はグループの「絆」の力に助けられました。そして、理事長が年頭所感で‘「絆」を「和」に’という話をされたとき、なるほどと思いました。チーム医療に「和」は欠かせません。災害時に発揮された「絆」で我々のグループは‘まとまることができる本質’を持っていると改めて感じました。これを平時にも発揮し、人のことを思いやる心があれば、「和」を発揮できると確信します。