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母校に望むこと

私は学生時代、創部まもないアメリカンフットボール部に所属していました。当時は、連戦連敗でした。しかし昨年、獨協医科大学アメリカンフットボール部は、医歯薬リーグ1部で優勝したということで、優勝の祝賀会に参加させて頂きました。このとき、獨協医科大学も本当に立派になったと感じました。また、旧制獨協中学の大先輩の水原秋櫻子先生の俳句「花の下に やまひを救う 手を組まむ」は、学生の頃、この石碑を見ながら、「医者になれればいいな」と願っていました。

母校に望むこと

しかし、母校の皆さんに伝えたいのは、その「医者になれればいいな」ということから脱却していただきたいということです。これは、アメリカ帰りのある医師が講演会で話していたのですが、「日本の医師もアメリカの医師も同様に優秀であるが、アメリカの医師が志高く専門職を続けていられるのに対し、それに比べ日本の医師は途中で挫折することが多い」と言っていました。この差は何かというと、「メディカルスクールの存在」だと。アメリカの学生は4年間、医学とは別の学部や学校で学んだ後、「自分が医者になって何をするのか」ということを明確にして志を持ってメディカルスクールへ入学し医学の道を目指しますが、日本の場合は「偏差値が高かったから」「親が医者だから」というような理由で医学部を受験し、入学した後は医師国家試験に受かるための受験予備校となってしまっており、「志」の部分が磨かれません。ですから、「医者になれればいいな」ではなく、「医者になって何をしたいか」という部分を学生に問いかけて頂きたいと思います。
このことは私の問題意識ではありますが、日本人は尊厳ある死を迎えられていないと感じています。これは、社会保障制度改革国民会議(平成25年8月6日)でも「そのときが来たらより納得し満足できる最期を迎えることができるように支援すること、すなわち死すべき運命にある人間の尊厳ある死を視野に入れたQOD(クオリティ・オブ・デス)を高める医療も入ってこよう」等、やっと問題視されるようになりましたし、2013年2月20日の参議院予算委員会の安倍総理も「尊厳ある最期を実現できる仕組みを考えたい」と発言されています。
「死」に直接携わるのは、医師のみです。「尊厳死」を考える上でも、医師には高い志が求められるのだと考えています。

講演の様子

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